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2007年6月28日 (木)

第三の道

私の好きな政治家のひとり、イギリスのブレア首相が引退しました。

トニー・ブレアは、1983年、30歳の若さで国会議員に当選。87年に「ニュー・レイバー(新しい労働党)宣言」を表明し、94年、わずか41歳で「労働党」党首に就任しました。

97年に行われた総選挙で、「労働党」は地滑り的な大勝を果たし、44歳の若さでイギリス首相になりました。

そして昨日、56歳のブラウン氏に後を託し、54歳の若さで“ダウニング街10番地(首相公邸)”を去ることになったわけです。

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イギリスでは1960年代から70年代にかけて、“英国病”と呼ばれるほどの経済停滞が続きました。

それを“規制緩和”や“民営化”、“市場主義”で、経済活性化を進めたのが、“鉄の女”サッチャー首相でした。

79年に誕生したサッチャー首相率いる「保守党」政権は、続々と新自由主義改革を推進しました。

しかし、このサッチャー改革は、経済的には奏効した一方で、行き過ぎた“市場主義”、“格差の拡大”をもたらしたのも事実でした。

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当時のイギリス「労働党」は、昔の日本の「社会党」のようなものといってよいでしょう。

イギリスは早くから2大政党制で、「保守党」「労働党」が政権を奪い合っていたのですが、ブレアは、まず「労働党」改革を行ったわけです。

ブレアは言います。

「変化なき党は死ぬ。ニュー・レイバーは歴史の記念碑ではなく、生きている運動である」。

ブレアは“変化すること”の大切さを知っていたと言えます。

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97年の総選挙で、党首トニー・ブレアは、「レイバー・マニフェスト“イギリスはもっとよくなれる”」を掲げ、419議席を獲得(+148)。

「保守党」が165議席(△171)だったため、改選前の「労働党」271議席、「保守党」336議席から、まさに“歴史的”な大逆転を果たしたわけです。

あれから10年。この間の施策の功罪には、今日は触れません。

10年間にわたり、イギリス再生に取り組んだ宰相は、イラク戦争への対応などから、徐々に国民の信を失い、今回の交代劇になりました。

確かに、“米国追従”の姿勢はなんとも残念でしたが、それでも、ブレアの10年間は決して色あせるものではないと思います。

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私は、10年前、トニー・ブレアに憧れたひとりでした(まさかその頃は、自分が選挙に出るとは思っても見なかったですが・・・^^;)。

イギリスは、おかれた国内状況や、政治状況なども日本と似たところがありますし、同じ「議院内閣制(大統領制でなく議会が首相を指名する)」を取っています。

「日本においても政権交代は可能。私は労働組合の役員ではあるが、“オールド・レイバー”ではない。まさに、“ニュー・レイバー”のひとりとして、これからの日本を、より良くしたい・・・」と思ったものでした。

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当時、読んだ本が、下記の2冊です。

今は、浜松で、10年前と同じ気持ちを持って、がんばっていきます。

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