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2011年9月18日 (日)

歴史に学ぶ危機管理(9/18)

Hamahaku1 浜松市博物館に行ってきました。

3月にリニューアルされた博物館内部の常設展示は、黒基調の内壁に白抜きの説明パネルなど、見やすくなっていました。

「金銀装円頭大刀」を見たかったのですが、豊橋市に貸し出しているとのこと。ちょっぴり残念でしたが、多くの人の目に触れるのは良いことです。

★金銀装円頭大刀のブログ記事(23.1.13)

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さて本題。

今日、博物館にうかがったのは、過去の地震の被災状況を調べるためです。

博物館長の太田さんは、6月に「遺された浜名湖周辺の災害記録」と題した市民講座を開催し、最近も市内各所で「出前講座」を行っています。

今、国で地震・津波被害想定の見直しが行われていますが、公表は来年の春以降になる見込みです。未来のことはなかなか予想できませんが、過去の事実は歴史をひもとけばわかります。

静岡県は平成8年に「静岡県史 自然災害誌」を発刊しています。さまざまな古文書から地震・津波災害などの記述を集めたもので、「さすが防災先進県」と思いましたが、その中で多くの被災状況が明らかになっています(同誌は図書館などにもあるそうです)。

また、江戸時代、入野村に住み、「佐鳴八景」を詠んだ歌人「竹村広蔭」は、著作「変化抄」の中で次のように述べています(原文意訳)。

嘉永七年寅(安政一年1854年)十一月四日朝五ツ半時大地震にて、当村三十二軒皆壊、その余過半大破、本家(竹村家)土蔵一、長屋・小屋皆壊余大破、・・・(略)

当村、即死一人平三郎内、その余怪我人一人もこれ無し、伊場・西鴨江・志都呂一軒も壊家これ無し、前通りの村々これまた左程にはこれ無き候

山崎にては家壊れ手足挟まれ悲しみ候に付き、人々寄りて切り出し申し寄候ところへ、「津波打ち来に候」と呼びたて候えば、そのまま打ち捨て逃げ去り候由、挟まれ居候当人はその節の心中思いやられ候、右様の始末所々にこれあり候

安政二年卯六月まで、日々両三度ずつ揺れ止まずこれ有り候ところ、七月廿六日大風雨にて高潮来たりて田畑荒れ候ところ、高飲みの分は少なく残り候ところ、また八月十九日より廿日大風雨にて高潮満ち来たり、堤を打ち越して人々の居屋敷に乗り、毘沙門堂より本家前道まで付く、薬師堂より北通り三途まで乗り申し候

田畑ならびに川畔残らず塩腐りに相成り、東山田井の元しばらく残り候えども、潮風にて皆無、人々種を失い申し候

舞坂より西篠原まで前後高潮、西鴨江・片草・志都呂・宇布見皆無種無し、・・・(略)

同九月廿八日暮六ツ時また候大地震にて、手前ども手入れいたし候分大破損に相成り、(略)、寅年(1854年)地震よりは余程ゆるやかに候ところ、前通り村々は余程強く米津村廿七間皆壊の由、白羽・中田島辺寅年同様泥水噴き出し渡り候由、当村はこのたびの大地震にて元々へ揺り直し候趣にて、潮は満ち来申さず、それよりだんだん当村人気少し立ち直り候気合に相成り申し候

三島村より下、壊家多くその上泥水噴き出し流れ渡り候由、田畑高低に変地し、町屋辺家過半壊、同泥水噴き出し膝を過ぎ候くらいに流れ渡り・・・(略)

安政東海地震では、入野より海岸に近い地域(前通り)や、伊場・西鴨江・志都呂で被害が少なかった割に、入野の家屋倒壊が大きかったことがうかがえます。また雄踏町山崎では、家屋倒壊のところに津波が来た様子がわかります。

また安政東海地震の翌年、7/26と8/19-20の2度にわたり台風が襲来し、田畑だけでなく家屋まで高潮の被害を受けたようです。今の被災地を思い浮かべると、おそらく安政東海地震の時に地盤沈下が起きたのはないでしょうか。

さらに同年の9/28の余震被害は、入野は“ゆるやか”だったようですが、海に近い地域では液状化の被害が出たことが書かれています。

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なお、抜粋していない記述の中に、地震(11/4)の翌日、(海岸に近い)前通り村々の人が、余震による「津波のうわさ」で、あわてふためいて入野村や伊場村へ駆け逃げる様子(鍋やお櫃、米麦を持って逃げ回る姿)が書かれていました。

「前通り」には、三陸と同じように “津波が来たら山まで逃げろ” という言い伝えがあったのかもしれません。

安政東海地震は今切口から浜名湖に入った水が西から浸水したと言われているのですが、もしかしたら、過去には前浜から津波が浸水したことがあっんでしょうか…(私の推察の域を出ませんが…)。

安政東海地震はM8.4と考えられていますが、それ以前にも、東海・東南海・南海の三連動地震としてM8.6クラスの宝永地震(1707)があり、さらにさかのぼるとM8.4クラスの明応地震(1498年)が起きています。宝永地震の直後には富士山の噴火(宝永大噴火)もありました。

歴史に学ぶことは多いのではないでしょうか。今日は “地元ネタ” でスミマセンが、私自身、イイ勉強になりました。

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