100万人に1人の実力をつける(9/18)
ブログでもお知らせしていた「浜松南高校PTA教育講演会」を行いました。
講師の藤原和博さんから、面白い話をたっぷり聴かせていただきました。
冒頭、「マネジメントで学校は変わる」と。
校長に着いた和田中学校の学業成績は、当初、杉並区で下から3番目くらいだったそうですが、今やダントツの1番とのこと(特に英語がピカイチですって)。県内は学力テストの公表問題でゴタゴタしていますが、このセリフをどう受け止めましょうか・・・。
藤原先生の話は、以前も聴いたことがあるのですが、軽妙な語り口で、キーワードをわかりやすくお話してくださいますので、しっくり腹に落ちます。
今日のお話は、「成長社会から成熟社会になって、求められる力が変わってきた・・・」というものでした。簡単に書くと・・・、
20世紀成長社会 ⇒ 21世紀成熟社会
みんないっしょ ⇒ それぞれ一人一人
情報処理力 ⇒ 情報編集力
(回転の速さ ⇒ 頭のやわらかさ)
正解 ⇒ 納得解(最適解)
正解主義 ⇒ 修正主義
必要なことは、「常識(前例)を疑う」、「ブレーンストーミングで “アホな案” を出す(ロンドン大学でもやるそうです)」、「正解を求めて追い詰めない」、「他人とつながってアイディアを広げる」などでしょうか。
詳しくは藤原先生のHPをご覧ください。動画でわかりやすく紹介しています。
控室でお話しているときに、先生からこんなHPも紹介していただきました。幼児期からの教育に関心のある方はどうぞ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
タイトルの話は・・・、
「100万人で1番」になることは難しいでしょうが、何か1つでも「100人中1番」なら何とかなりそうじゃないですか?
それには10年かかるかもしれませんが、30年かけて、その分野を3つ作れば、100×100×100の掛け算で100万人に1人の逸材になることだって決してムリじゃない
・・・というものでした。
さっそくこの本を買って読みました。
この話(★6/24のブログ)ともつながりました。
« 話題たっぷり、9月定例会(9/18) | トップページ | 富士山パワースポット巡り(9/23) »
学校長は、学校教育に責任のない人なのか。ただ、他の教員よりも金を多く貰っているだけなのか。
その責任者であるならば、問題があれば、名前を明らかにされても仕方がない。
問題の解決には、なによりも責任者の自覚が必要である。
意思のあるところに責任はある。
意思のないところには、責任がない。
責任者は、責任を持って問題の解決を図ることを期待されている。
無意思の責任者には、問題を解決する力はない。
死刑執行人は、殺人罪に問われない。
彼らは、殺意がないからである。彼らは ‘頼まれ仕事’ をしているのである。学校長の仕事もそのようなものなのであろうか。
日本人には、意思がない。
意思は、未来時制の文章内容で、日本語には、時制がない。
だから、日本人には、意思がない。
非現実 (過去時制と未来時制) の文章内容が表現できなければ、際立った個人差は出ない。どんぐりの背比べか。犬と犬の違いに終始する。
個人主義を理解することも難しい。
我が国がひっくり返った時にも、国の政治責任者は出なかった。
「責任者を出すな。犠牲者を出すな」と言う声が上がった。
意思のない人が責任を追及されることがあれば、彼はまさしく犠牲者であろう。動物愛護の精神が必要。
学校長も、そのようなものか。とかく、この世は無責任。
心のある人とは、どのような人か。
自分の感情を表現する人か。ならば、歌詠みの人か。
自分の意思を表現する人か。ならば、行動の人か。
日本人には、意思がない。だから、自分の意思を示さない。
我が国は、世界の中にあって、世界に属さず。
日本人は、無為無策で高踏的*なのか。
我々は、来るべき国際化社会に備えなくてはならない。
*高踏的 (自分ひとり高いとしているようす。おたかくとまるようす。)
http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/
投稿: noga | 2013年9月20日 (金) 05時58分